心理恐慌:マスコミの責任を問う

 今朝(10月28日)の読売新聞朝刊の38面に、「株暴落:町工場”廃業の恐怖” OLら外貨両替に列」という見出しが踊っていた。中身を見ると、ほとんど全てが円高の景気への懸念である。株暴落というタイトルを立てながら、中身は円高の話。羊頭狗肉も甚だしい。
 株暴落に関しては、大田区工業連合会長の舟久保利明さんという方から「株価暴落は、頭をガツンとたたかれたような衝撃。廃業に追い込まれるところも出てくる」とのコメントを引き出しているが、それが唯一である。舟久保さんの話の中身も、「株価暴落が無前提に廃業に繋げられている」だけで、その間の理屈はない(あるいは話をしたのにカットされてしまったのかもしれない)。
 まったく執筆した記者(あるいは整理記者)の良識と知識ベースを疑ってしまう。もっともクォリティーペーパーを自他ともに認める日経新聞にしてあまり誉められたものでないのであるから、大衆新聞(一般紙)の記者としては仕方がないのかもしれない。
 だが仕方ないとばかりは言っていられない。複数回に亘って書いているように、株価暴落の景気への第一の経路は「心理的影響」である。敢えて嘘をつくことはないが、記者氏に良識があるのであれば事実を正確に書かなければならない。記者氏が大衆受けを狙って、内容をそれに合わせるのだとしたらその罪は最高度に重い。結局不況を煽るのはあなた方ということだ。
 今回に限ることではないが、それにしてもマスコミは程度が酷すぎる。テレビなどでは、「漢字も満足に読めない」アナウンサーやキャスターが思いつくままに勝手なことを言う。こうした中で罪がいっとう重いのはやはりテレビ朝日報道ステーション」の古舘伊知郎さんであろう。久米宏さんの勝手気儘にも参ったが、この人はその比ではない。加えて朝日新聞から派遣される編集委員も歴代一向に的をえない人ばかりである。
 こうした人たちに悪意はないのかもしれない。だが悪意のない正義感やポピュリズムほど危険なものはない。テレビ朝日が社会正義を追求するマスコミの一員であることを公言するのであれば、少なくとも「報道ステーション」はもう止めた方がいい。
 経済犯罪はある意味殺人以上に罪が重いとも言われる。経済の先行きが大きくマスコミ報道に影響されるとすれば、記者諸氏の責任もそれだけ大きいということだ。国民が「株価暴落で景気の先行きが大変」とステレオタイプに答えるのは、マスコミの洗脳以外のなにものでもない。もし洗脳でないと言うのであれば、インタビューに答える人に、株暴落の景気に影響するメカニズムについて論理的な説明を求めて欲しい。
 それからこの際言いたいのだが、新聞(マスコミ)はことあるごとに如何にも訳知り顔にしゃしゃり出るが、その発言には一向に責任を取ろうとしない。人のボーナスは揶揄するくせに、自分の懐具合には口を噤む。タレント化したアナウンサーの報酬はもはやサラリーマンの域を超えている。景気が悪くなっても首を切られる心配はない。雇用調整・コスト調整は下請製作会社に押し付ける。
 こうした構造の上に安住し、ちっとも知性を磨こうとしないマスコミ人に政治家や官僚の批判が出来るのであろうか? 社保庁を批判する資格があるのであろうか?
 この非常時に相変わらず害毒を流し続けるマスコミにはもう我慢の限界である。企業はCMを自粛し、国民は新聞の購読を止めなければならないのかもしれない。インターネットの高度に発達した今日、われわれはメガメディアが伝える情報ばかりに頼るのではなく、上質の情報を安価に手に入れる方法を考えなければならないということである。