株式市場は景気の先行きを語らない

 今朝テレビを見ていたら、記者が株価の暴落に関して取材する中で、「日本経済はどうなってしまうのでしょう」と語る人がいた。また今朝の日経産業新聞では、金融危機 ソニーを直撃」という見出しが踊っている。
 声を大にして言いたいのだが、本来的に景気悪化は株価を低下させるが、その逆は原理的にはありえない。景気が悪化し、配当が少なくなり、極端な場合には倒産する会社も出て来るから、株価は下がるのだ。ここからは、株価が下がるから景気が悪くなるという理屈は見出すことが出来ない。
 日経産業のソニーの場合も、見通しを2700億円(▲57%)下方修正した主要因は、円高で1300億円、金融部門で600億円などとされる。この中で金融危機の影響はソニーがたまたま金融部門を持っていたから生じたもので、製造業としてのソニーには関係ないことである。円高金融危機の影響はないとは言えないが、円高金融危機に拘らず生じるものである。「金融危機 ソニーを直撃」などという見出しは、経済のプロである日経らしからぬ錯誤である。
 ただ10月17日付の本欄にも書いたが、株価の下落が景気に影響しないわけではない。その経路は3つあって、第一が心理的影響、第二がマイナスの資産効果、第三が制度的足枷である。第一は無用に恐怖感が煽られることから生じる。第二は株式投資をしている人には影響するかもしれないが、そもそも株を持っていない人には関係ない。
 問題は第三の制度的足枷である。これは時価評価制度、BISの自己資本比率規制制度、先物市場制度といったもので、人為的に人間がその時に良いと思って導入した制度である。こうした制度が存在するために、マクロ政策として緩和策を図っても、金融市場がうまく機能しなくなるのである。今回もこのことの影響が一番心配されるわけである。だから私は「制度恐慌は絶対回避せよ」と主張するのである。
 先般の繰り返しになるが、一つの制度が国際的合意となる過程では種々の利害が渦巻いていることは間違いないが、一応その時に導入された大義名分はあるわけだ。それは認めよう。
 だが制度は人間が作ったものである。それも相対的に諒としたものであって、絶対的な効力を認めたものではない。経済環境の中ではその時には正しくても、後に正しくなくなることは多々ある。
 纏った衣が間に合わなくなれば、また違った衣を纏えばよい。私が米国会計基準を目の敵にするのは、売上基準・指針が160もあることに代表されるように、ルールが必要であるとしてもそれをもって雁字搦めにしているからだ。あまりにも雁字搦めの状態では衣の脱ぎ着が容易でなくなる。だから反対するのである。
 時価会計評価の一時凍結が日米欧で進んでいることは、先に述べた。米国では空売り規制を強化しているとの話も聞く。制度恐慌を回避するための準備は見えないところで進んでいるのかもしれない。
 しかしマクロ的金融政策の一番の阻害要因であるBIS規制の見直しは聞かない。金融システムは、元来レバリッジ効果が大きければ大きいほど評価されるものであろう(ここでの金融システムは間接金融を指し、直接金融は除外する)。レバリッジに人為的に蓋をしてしまっているのはBIS規制である。これの撤廃あるいは凍結は喫緊の課題である。
 景気対策として事業規模10兆円とか11兆円とかいった対策が打ち出され、その後も種々のアイデアが出されている。皆カネを使う対策である。だが制度恐慌を回避するためにカネは要らない。必要なのは政治の知恵と度胸と(対外的)交渉力である。
 制度を変えるのには米国がへたった今しかない。困った困ったの一辺倒ではなく、ピンチを千載一遇のチャンスととらまえる頭の切り替えが必要である。それと、識者は「株価下落が景気を悪くする」という非論理的な見解をこれ以上流布してはならない。