読字障害とニューロ経済学:安部公房さんの教訓

 少し前になるが10月12日に、NHKスペシャル『病の起源第4集 読字障害〜文字の生んだ病〜』が放送された。読字障害はDyslexiaの訳であり難読症などとも言われる。知能は通常どおりであるのに、文字が読めない病である。脳内で視覚や聴覚、体制感覚を処理する39野、40野と言われる部分がうまく機能しないためにこうした症状が現れるということだ。この症状を持つ人は、米英で10人に1人、日本人で20人に1人と予想以上に多い。有名人でも、例えばハリウッドスターのトム・クルーズ、英バージン・グループの総帥であるリチャード・ブランソンなど、あげればきりがない。
 脳科学の発達によってそのメカニズムが明らかにされたところから、読字障害患者は字が読めなくても知能に問題がないことが広く認識されるようになったが、少し先の時代であれば知能障害者として扱われた例も多いことであろう。
 また読字障害の人たちは字が読めない一方で、立体把握能力に優れている例が多いことも指摘されている。文字を処理する左脳が活発に働かない分、図形を処理する右脳が活発に活動しているというのである。脳の不思議である。
 さらに脳の不思議を示す例としては、ダスティン・ホフマンが主演した映画『レインマン』で紹介されたサヴァン症候群がある。サヴァンの人たちは自閉症などの知的障害を持つ一方で、並外れた記憶力など常人以上の能力を持つ人が見られるということである。こうした能力は元来人類が持っているものであるが、進化の過程で不要の能力として封印されたのだそうである。これは飽くまでも封印されたのであって、無くなってしまったわけではない。通常の場合そうした能力は活動しないが、どこかの脳の不具合が生じるとそれが解き放たれるということなのだ。
 fMRIなどの機器の発達によって脳の不思議に次々とメスが入り、その神秘が明らかにされつつあるわけである。こうした脳科学の発達は能力開発において、個人の可能性を広げるという意味では非常に意義深いと考える。
 翻って脳科学を経済分野に応用したニューロ(神経)経済学などは、どう考えたらよいであろうか。ニューロ経済学では例えば、人間はバブルを何度も繰り返すなど一向に懲りることが無いこと、また報酬を前にして全ての人間が必ずしも合理的な行動をとるわけでないことなど、これまでの経済学では解明不能であったことを解き明かし、それを政策に反映させることが目論まれる。
 私はニューロ経済学の言葉を聞くたびに、ナチのユダヤ人政策、あるいはロボトミー手術などを想像してしまう。哲学・倫理の問題であるかもしれないが、政府が強力に国民をコントロールした結果として、絶対にバブルを起こさない人間、決して不合理的な判断をしない人間ばかりになった時、確かに経済変動は避けられるようになるかもしれないが、そうした世の中にヒトは耐えることが出来るのであろうか。こうした学者にはどうも想像力が欠けているような気がしてならない。
 一方優れた作家の想像力は凡庸な学者のそれをはるかに超える。例をあげよう。1950年代に発表された安部公房さんの作品に『第四間氷期』という小説がある。これは、政治でも経済でも気象でもピタリと予測することの出来る脅威のコンピュータが主人公である。何でもかんでもピタピタ当てれば逆に不味いことが生じる。人間は不確実性を確実にしたいともがくが、それも一興。実際に不確実なことが確実になれば人生は逆に無味乾燥なものになってしまう。
 ついにはこのコンピュータは使い方を限定されることとなり、「殺人被害者の生前のデータを入力することによって犯人捜査にのみ使われる」こととなる。経済や社会現象の予測などは封印されてしまうのである。これは脳に関して超人的な能力が封印されたことと同じ現象ということであろう。
 安部さんは本物の天才であると思う。戦後間もなくのコンピュータの存在が一般に知られるか知られないかの時期に、コンピュータ(予測)の使い方やその限界を正確に予見していたのである。これが優れた作家の想像力ということである。安倍さんの小説は巧まずしてそのことの大切さを教えてくれている。下手な経済教科書より小説に学ぶことは多いということだ。