大村教授に学ぶ「金融危機の行方」

 ご覧になっている方も多いと思うが、日経新聞でこの10月10日から『金融危機と世界−行方を探る』というシリーズを組んでおり、今日が第5回であった。以下筆者と見出しを記す。
第1回(10月10日):林敏彦(放送大学教授)『新たな政策の枠組み急げ 「変化の実感」が不可欠 ”大恐慌前夜”の認識は誤り』
第2回(10月13日):翁百合『「危機の連鎖」変容に対処を 市場のリスク多元化 信用秩序維持、マクロ的に』
第3回(10月16日):竹中平蔵日本経済研究センター特別顧問)『信認の危機克服へ正念場 許されぬ「政治の失敗」 日本、バラマキでしのぐな』
第4回(10月17日):御立尚資ボストン・コンサルティング・グループ日本代表)『投資銀行は「原点回帰」へ 実体経済支援が軸に 事業モデルは複数に分化』
第5回(10月20日):大村敬一早稲田大学教授)『資本注入で問題解決せず 景気後退期は効果薄 銀行の株式は”もろ刃の剣”』
というものである。
 この中で竹中さんの言い分はやはり面白い。竹中さんの論文では、危機を乗り越えるために各国が日本から学ぶべき教訓は次の3つとしている。第一が、1990年代は政府が決断できずに、問題を先送りしてしまったこと、第二が、単なる資本注入ではなく、厳格な資産査定などのプログラムが必要であること、第三が、経済オンチの政治家はひっこんで、経済専門家に任せるべきであること、この3つである。また、現在の危機は「市場の失敗」に「政府の失敗」が重なったものであるとも仰る。
 この日本の教訓というのは、どう読んでも全て小泉内閣自画自賛である。自分たちが関与する前の政府は実にもたもたして、事態を悪化させたただけである。われわれが乗り出してからは、金融再生プログラムなどをぴしっと作って事態を収拾した。この間小泉さんは黙って全権を委任してくれた。こういうことであろう。
 竹中さんが何をどう言っても空しく響くだけであるが、せめて「市場の失敗」に触れるのであれば自らが関与した「失敗」も総括して欲しかった。
 これに対して本日の大村論文は実に刺激的であった。この論文の論点は大きく分けて第一に、日本の経験を生かせと、公的資金投入が成功例であったように言うのは疑問であること、第二に、金融機関のエクイティは特異な性格を持っており、それがレバレッジ創造の「濃縮ジュース」にすぎないとすれば、エクイティは安定化装置として機能せずに逆に負の連鎖を招いてしまうことの2つである。
 そうした論点に関する背景として第一に関しては、わが国経済は資本注入の結果立ち直ったというよりは、中期的循環で見た自律的回復局面にあったことの要因が大きいこと、第二に関しては、金融機関とりわけ投資銀行への投資家は短期志向が強く、そもそも安定化装置としての役割を担っていなかったことが指摘されている。
 また大村さんは今後強まる規制を想定とすれば、証券化業務の正常化は急速に進むであろうと述べる一方で、「次の熱狂ダンスを誘うイノベーションの音を聞くまでにそう時間はかからない」とも予見する。飽くなき人間の欲望を前提とすれば、また何時か来た道ということであろうか。
 大村さんの論文からは出口の見出せない苦しさも感じるが、希望的観測や自画自賛に満ち満ちた論調に比べてよりいっそうの清々しさを感じる。徒に出口先にありきの議論よりは、こうした冷たいくらいに冷徹かつ冷静な議論こそ有益であろう。これが学者の矜持というものである気がする。