やっと一息:でもこれからが正念場

 13日のNY市場ダウ工業株30種平均は、9387.61ドルと先週末比で936.42ドルで引けた。こうした地合いを受けて、開いたばかりのわが国の株式市場も反発しているようである。
 暴落の連鎖を止めたのは、G7の合意を受けて日米欧の主要国が相次いで危機打開策を打ち出したことが大きい。打開策の中身としては資本注入、預金保護、銀行間取引保証の三つが柱となっている。これには日本の1990年代の経験が大いに役立ったということである。まずは一段落である。
 だがこれで息をついてはいられない。これは外科手術で言えば、大出血を緊急処置で一応止めた段階でしかない。今後は本格的治療が必要となる。今後の新しい金融制度の設計プランが示されなければならない。
 主要国政府は軒並み邦貨で数十兆円規模の巨費を”私企業”注ぎ込むわけである。金融を市場原理に委ねた結果がこの高い授業料である。当然今後は金融にキツイ制約が課されることは間違いない。これは私の自論であるが、金融は公益事業との位置づけを明確にすべきであると思う。
 国防や警察・消防といった直接国民の安全に関わるサービスは民間に委ねることが出来ないであろう。それと同じレベルとまでは言わないが、例えば国民の生命を左右する電力・ガス・水といったライフラインに関わるサービスは公益性が重んじられる。キャッシュ社会とはまた異なり、キャッシュレス社会ではより一層金融のライフライン化が進展しているわけだ。金融を公益事業と位置づける意味は十分あるはずだ。
 公益事業ということは収益性(効率性)を全面的に打ち出すのではなく、本来的サービス機能の提供を何より優先させるということだ。準公務的な役割を担うと言ってもいいかもしれない。
 ただこの場合、金融とヒト括りにするのではなく、銀行、保険、証券をしっかり区別することが大事である。それぞれライフライン度が違うからだ。そうした延長線で考えると、金融持株会社などは極めてナンセンスということになる。理由の一部は、9月22日付の本欄で「間接金融と直接金融を峻別すべきこと」を述べた時に示した。
 間接金融と直接金融は同じカネという商品を扱いながらも、似て非なる存在である。文化が全く異なるのである。過去において金融持株会社が議論された時には、利益相反の観点から専らファイアーウォールばかりが取り沙汰された。両者の文化的な相違点についてはあまり議論がされなかった。
 私はファイアーウォール以上に文化的相違点を議論すべきであったと考えている。間接金融は農耕民族型であり、直接金融は狩猟民族型である。両者はまず土地(企業)への関心が異なるし、間接金融は本来的に短期的に収益を上げることが得意ではない。
 こうした中で四半期決算が採用され、短期的収益性が重視されれば、今回のような危機が顕在化しなければ、同じ持株会社の傘下において直接金融(証券)がいい子になるのは当然である。ここでは基本的にユーザーである企業との関係が決定的に破壊されてしまう。メガバンクがいくら秋波を送っても、企業とりわけ中小企業が警戒心を解かないのは、本能的に危険性を感じ取っているからに他ならない。
 金融持株会社にはそうした重要な問題点が内包されているということである。にも拘らず、国内においても金融持株会社が解禁され、一つの資本の下に、銀行、保険、証券、信託そしてサラ金までが集結してしまっている。加えて、今回の金融危機においてはMUFGのモルガン・スタンレーへの出資劇に見られるように、金融の国際的コングロマリット化が一層促進されることとなっている。
 声を大にして言いたい。これは全地球的に間違いである。米国の証券会社を日本の金融機関が救わなければならない義理はない。これでMUFGは獅子身中の虫をさらに抱えることとなってしまった。短期的には収益拡大に貢献するかもしれないが、長い目で見れば必ずや禍根を残すことであろう。それだけ間接金融と直接金融の間の壁は厚いということである。なぜこんな極めて単純な真理に気がつかないのであろうか?