競争の甘い言葉に騙されるな!

 市場原理主義とワンセットで前提とされるのが競争原理である。市場が良好に機能するためには、競争条件が公正・公平に保たれることが必要とされる。
 でも基本的に絶対公正・公平な競争条件なんてあるのだろうか? 早い話が世襲。銀のスプーンを咥えて生まれて来た人と、施設や病院の前に生まれ落ちた時から捨てられていた人では、明らかに競争条件が異なる。
 私が許せないのは、こうしたことを一切ねぐってしまった議論が展開されることである。小泉さん、安倍さん、福田さん、麻生さん、皆世襲である。こういった方々が公正と公平とか言っても、胸に響かないのは彼らの出自が邪魔をしている。
 規制緩和の公正性・公平性ということを考えてみよう。金融自由化に例をとる。
 1980年代に金融自由化が問題とされたのは、戦後30〜40年を経て制度疲労が目立って来たことと、米国からの外圧である。そうした意味では理由はあった。
 だがその時渦中にあって思ったのは、既存金融機関間および既存組・新規参入組間に厳然と存在する不公平についてである。
 既存勢力の中では、自由化に馴染みやすい金融機関と馴染みにくい金融機関があった。馴染みやすい金融機関の代表は都市銀行であり、逆に馴染みにくい金融機関の代表は長期信用銀行であった。このまま自由化が進めば都銀の一人勝ちで、長信銀は場合によって消滅するだろうと分析した(その趣旨で論文を書いた)が、結果は言うまでもないであろう。残ったのはメガバンクという名を変えたゾンビ都銀である。ゼロ金利という善良な国民からの収奪である。
 新規参入は既存勢力に比べて身軽な分、勢力拡大に有利である。その点は否定出来ない。外資を先頭にこうした勢力は「効率化」と「サービス向上」を二大旗印として市場開放を迫る。その結果がAIGのような体たらくである。破綻してしまえば、効率化もサービス向上もへったくれもない。
 これが公正・公平を錦の御旗とした競争の結果である。私は決して競争に意味がないと言っているのではない。競争、競争と唱える人たちは、概して競争によって自らを利すことが多いということを言いたいのだ。
 ではわれわれはどう自衛すればいいのか? 決してうまい話には乗らないことだ。REITの罠に気づき、401Kなどは断固拒否すべきである。政治に目を向け真の代表として誰が相応しいのか真剣に見極めることだ。そうすれば山も動く。