市場の本質−市場って誰のことか見極めよう!

 米議下院議会が、金融機関から公的資金で不良資産を買い取ることを骨子とする”緊急経済安定化法案”を否決したことによって、9月29日のNY”ダウ工業株30種平均”は777ドルの史上最大の下げ幅を記録した。
 ところが翌30日には、週末までに同法案が可決するという観測が強まったことを理由に急反発し、株価は逆に485ドル値上がりしたのである。
 この現象見てどのように思われるであろうか? 私はこれは市場の恫喝以外の何ものでもないと考える。 
 ”緊急経済安定化法案”が成立することによって、多くの金融機関が救われることは間違いない。システミック・リスクが顕現化する中で、金融機関の連鎖倒産は是非避けなければならない。
 そのことを前提としたうえで、問題は、こうした措置が誰に多くのメリットをもたらすかということである。善良な一般預金者が救われるのは無論のこととして、一方で散々市場を食い散らかして来た面々も救われるのである。
 市場原理主義者は「市場が決めることは絶対的に正しい」との大前提に立っている。「市場が期待している」「市場が拒否する」などの言葉をよく聞く。だがその市場って何なのだろうか? 市場とは一体誰のことなのだろうか?
 29日の株価暴落も、議会の対応に市場が失望し結果だと言う。株価を動かすのは大株主である。大株主は機関投資家であったり、金融機関ということであろう。つまりは機関投資家や金融機関が、一般投資家を人質にとって議会・世論に圧力をかけたのがあの暴落ということである。
 これを恫喝と言わずして何というのであろうか? それも用意しなければならない公的資金は邦貨で75兆円と言う。わが国の国家予算に匹敵する金額である。
 マネーゲームで巨利を貪り、その挙句に勝手にこけた連中を巨額の税金をもってなぜ救済しなければならないのか? これは世界経済が人質にとられているからである。公的資金を注ぎ込まなければ世界恐慌が起きる。そうなったらどうするのという脅しである。
 これは正しくインテリやくざのなせる業である。市場原理主義というまことしやかな幻想を振り撒き、その影で金融工学的商品で儲けまくり、そうしたビジネスモデルが崩壊したら、「世界経済が崩壊するから税金を注ぎ込め」では善良な国民はたまったものではない。
 ここまで書いてふと思い出したことがある。PL法がわが国でも話題になり始めた頃に、濡れた愛犬を電子レンジで乾かして死なせてしまった飼い主が、使用説明書に「犬を乾かしてはならない」と書いていないのがけしからんと、訴訟になったという話を聞いた。
 これは飼い主が自発的に訴訟を起こしたということではなく、弁護士が仕掛けたということのようである。この時米国の知的ごろつき、インテリやくざは本当に恐いと思った。
 如何にも一般国民のためということを装いながら、その裏で巧妙なビジネスモデルを組み立てる。その構図は金融プレーヤーであろうが弁護士であろうが一緒である。
 わが国もグローバル・スタンダード、経済構造改革市場原理主義などの大義名分の下、随分と蝕まれて来た部分は多い。だが米国ほど傷は深くない。昨日米国で常識化・定説化していることも、われわれの目で見直そうという趣旨のことを書いた。
 金融を中心に小泉・竹中改革路線の見直しが喫緊の課題であることを、再度声高に主張したい。ただし私が考えているのは、麻生さんや小澤さんの政策とも一線を画するものである。そのことはいずれまとめて書きたいと考えている。