日経よ! 驕るなかれ

昨日は日経新聞主催の『ルールを作る:企業家精神と法』というセミナーに出た。
基調講演は、自民党衆議院議員中川秀直さんと米グーグル社バイスプレジデントのKent Walkerさん、オリックス会長の宮内義彦さんの三人。パネルディスカッションのパネラーは、弁護士の岩倉正和さん、ライフネット生命保険副社長の岩瀬大輔さん、金融庁企画課長の大森泰人さん、東洋大学教授の高橋洋一さん、政策研究大学院大学教授の福井秀夫さんの五人という陣容であった。
中川さん、宮内さん、高橋さんの三人は小泉政権下で市場原理主義を追求した所謂「上げ潮派」と言ってよいであろう。
岩倉さんは、スティール・パートナーズの敵対的M&Aに対してブルドック・ソースの防衛に当たった企業法務の専門家、岩瀬さんは、ハーバードのMBAホルダーで経営コンサルタント投資ファンドの経験者である。
このセミナーの主旨は、第一に、市場原理主義は間違ってはおらず今後とも推進すべきであること、第二に、もし市場で拙いことが起きても、それは市場主義が間違っているのではなくルールの問題であること、この二つである。
敢えてスピーカーとパネリストの紹介をしたのは、全員がほぼ市場原理主義の肯定者もしくはその信奉者と認識されるからだ。彼らに共通するのは、米国で暮らしそこで経済学あるいは経営学を学んだ経験を持っていることであり、そうした経験・経歴から多大な利益を得ていると思われる点である。いずれにしても彼らは勝ち組である。
このメンバーを見るだけで日経の意図はありありである。自らも市場原理主義を掲げ小泉改革のお先棒を担いで来た責任を全うするということなのであろうか? それにしても見え見えである。日経新聞がクォリティー・ペーパーであることを自認するのであれば、違った立場からの人選が必要であった。
彼らの主張に反論しておこう。第一については、市場原理主義は米国ではいざ知らず、世界の潮流で必ずしもないことをまず言っておきたい。過剰な市場主義には欧州大陸を中心に実は既に倦んでいる。そのことを詳らかにしないのは卑怯である。
最近の経済学(情報の経済学)の考え方では、無邪気な新古典派経済学者の主張と異なり、市場は決して最適均衡点を保証するものではなく、需要側の要因によっては均衡点すら存在しないことが議論されていることも付記したい。
また大勢は市場に任せて不都合が生じれば、その時に市場が公正に機能するようにルールを作ればいいじゃないかという第二の見解についても、この理屈は端から破綻していることを指摘したい。
サブプライム・ローンのように、最初に仕組んだ人間が莫大な創業者利潤を得てしまった後に、まずいことが起きたからルールを作ろう、見直そうでは詮方ない。問題が起きる前に、自らに都合のいいルールが作り上げられていることも多い。
金融には決して犯していけないものがあることについては、本欄で書いた。銀証分離には深遠な意味があること、金融機関の巨大化は必ずや害毒をもたらすものであることなどに触れた。
金融の効率化を図れば、資金調達・運用に関するより良いサービスをより廉価に提供することが出来るようになる。だから既得権益を枕に眠りこけている既往金融機関に覚醒を促がすためにも、参入障壁を撤廃し、活力あるニューカマーの新規参入が図られなければならない。
だがニューカマーは概していいとこどりである。旧勢力がこれまでの桎梏を払拭出来ずに、自由に行動出来ない中で、市場を食い散らし、守らなければならない秩序を破壊してしまう。そして場合によっては自らこけて、”大好き”な市場に大迷惑をかけることともなってしまう。
しかしその時にはそのビジネスモデルを考え出した当人は、別の場所で涼しい顔なのである。これが許されるのは誰が考えてもおかしい。
私は金融を始め決して野放しに出来ない分野があると思う。そうした分野の効率化は国際協調で慎重に行なうべきであると考える。勿論規制が厳しすぎると逆に保護が過剰となり、経営者が惰眠を貪りモラルハザードが問題となるケースも出て来よう。だがその場合も、リーマンやワシントン・ミューチュアルの破綻とそうしたロスに関する影響の大きさの比較考量の問題と考える。
市場原理主義という言葉を聞くたびに頭をよぎるのは、「気をつけよう。甘い言葉と暗い道」の標語である。無知な国民は常に暗い道を裸で歩いているようなものである。そこに甘い言葉をかけられればついふらっとなり、なけなしの虎の子を巻き上げられることともなる。
繰り返す。そうした結末が想定される中で、後からルールを作ればいいと言うのは政治や行政の怠慢である。自らの責任放棄である。
大昔私は日経新聞傘下の研究所で学んだことがある。その時は日経も今のような巨大メディアではなく、それなりの危機感を持ち、記者の皆さんも概して謙虚であった。
ところが最近の日経は如何であろう。権力の一翼を担うとの自負心宜しく、世論の誘導を図る。ジャーナリストの本分にももとる。そう言えば、昨日のセミナーで経済事件を扱う裁判官の半数もが日経新聞を読んでないことが話題となっていた。こうした編集方針で世間に臨むのだとしたら、裁判の中立性を保つうえでも、日経新聞など読んで欲しくない。
日経よ! 驕るなかれである。