中山大臣の辞任に思う−言い分はしっかり聞こう−

中山成彬・国交大臣がたった5日で辞任した。切っ掛けは数度に亘る失言ということだ。
この点小泉さんは巧妙だった。元日経新聞記者で現早大教授の田勢康弘さんよれば、在任中マスコミのぶら下がり会見などでは、発言のいいとこどりを嫌って、それを切られたり編集されたりしないように、常に発言は7秒以内に収めるように努力していたということである。
小泉さんは稀代のコピーライターだと思うが、「郵政民営化なくして、改革なし」「自民党をぶっ壊す」「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」などの名コピーはそうした修練の結果生み出されたということなのであろうか。
いずれにしても、小泉さんは大胆なようで実はリスク管理に最大の配慮を払っていたということであろう。
大臣の失言・辞任報道に接して何時も思うのは、どうしてこうした小泉さんの知恵を学ばないのだろうかということである。なす術なくただただマスコミの餌食になってしまうのは、ご本には元より国民としても決して本意ではないはずだ。マッチ・ポンプではあまりにも資源とエネルギーの無駄遣いである。
今回の中山発言で問題とされるのは、「成田地権者のゴネ得」「日本は単一民族」「日教組をぶっ潰す」の三つである。前二つについては発言を撤回・訂正したものの、日教組に関する発言撤回は断固拒否したということだ。
成田問題では、地権者と特定の政治勢力が絡んで解きほぐしが難しくなり、結果的にゴネ得となったことも事実としてあったであろう。またこれも事実の指摘に止めるが1978年の開港以来30年を経た今も収容予定地の一部立ち退きが進まず、滑走路拡幅等の障害となっていることは事実であろう。
そしてこのことが、成田を国際空港として何時までも世界水準とすることが出来ないでいることも間違いない。滑走路の端っこに民家が点在する様は異様である。それと成田に限らず農家の人々はよく「先祖代々の土地」ということを口にするが、先祖代々というのは何時からのことであろうか? またそれをどうやって手に入れたというのであろうか?
単一民族という発言は「ほぼ単一民族」ということを言いたかったのであろうか。だがこれに関しては6月に衆参両院の全会一致で「これからアイヌ民族先住民族として認める決議」が採択されてもいるわけである。現職国会議員としてはやはりお粗末と言わざるを得ない。
私は北海道の出身である。小中時代には必ずと言っていいくらい同級生にアイヌがいた。彼らは目鼻立ちからアイヌであることは一目瞭然で、そして概して貧しかった。心無い子供は差別もした。アイヌの人たちはシャモ(和人)に対する怨念は決して忘れてはいない。この痛みが分かっていれば如何に宮崎出身の中山さんであっても、単一民族発言は控えられたであろう。否、控えなければならなかった。
最後に日教組日教組の先生方が戦後教育を破壊した面は確かにあった。私が子供の頃は日教組の全盛期で、授業をほったらかしにして政治闘争に明け暮れていた先生も確かにいた。だが戦前の教育が皆よかったのかというとそうではないであろう。
例えばアイヌの子供たちに優しかったのは日教組と言わないまでも、左がかった先生方が多かった。彼らからは「差別のいけないこと」を骨の髄から学んだ。子供たちが自ら進んで差別をすることは少ない。子供たちが差別感を持つのはほとんどが親の偏見を察知してのことである。アイヌ朝鮮人に対する差別心は戦前の教育が教え込んだことではないのか。
自由や平等の大切さを教えてくれたのは、ノンポリの先生たちより、組合活動に熱心な先生たちの方が圧倒的に多かった。そのことを忘れてはいけない。
日教組のいけなかったのは、民主主義を曲解・拡大解釈しすぎて、自らの権利闘争に走りすぎたことである。いずれにしても戦後民主主義の礎は彼らの手によって作られたところが多かった。
以上は私見である。中山発言に関して納得出来ることも出来ないこともある。また同様に私の意見に関しても、同意される方も同意されない方もあるだろう。
私が言いたいのは大臣辞任の意味は本来的に重い。そのためにはマスコミが中心となって一方的に断罪するのではなく、彼らにきっちりとした説明の機会を与えるべきだということである。多聞にそれが日教組の先生方が教えてくれた民主主義ということであるはずだ。
それはそうと中山さんの後任は金子一義さんということのようである。金子さんもれっきとした世襲議員である。これで麻生内閣世襲議員は18人中14人となった。ほぼ8割が世襲議員ということである。こちらへの関心も是非強めて欲しいものである。