総裁選挙も「美人投票」

 自民党総裁選に麻生太郎さん以下5人が名乗り出て、実に賑々しい。しかし不思議でならないのは、ほんの一年前に自民党は麻生さんに対してはっきりとノーと言ったはずである。
 麻生さんの公約は昨年と大きく変わってはいない。にも拘らず麻生さんが選出されるとすれば、自民党の大多数が麻生さんの打ち出す政策に宗旨替えしたということになる。本当であろうか?
 多分それは違うであろう。多数が勝ち馬に乗りたい一心で、”選ばれそうな人”になびく。これが本音である。
 まさに「美人投票」の理論である。すなわちJ・M・ケインズの言う「美人投票」の理論では、選らばれた候補者に投票者した者に報酬が与えられとすれば、投票者は自分の判断ではなく、多くの人がどう判断するかを判断基準とする。
 総裁選もまさにそういうことである。自らが信念とする政策に殉じるのではなく、勝ち馬を予想してそれに投票する。その心は身の安全。成熟国の責任与党がこんな有様で本当によいのであろうか?
 結党以来の危機と言う。その意識は皆さんがお持ちのようである。だが国民は自民党が危機に見舞われようが見舞われまいが、そんなことはどうでもよいことだ。関心は自分たちの生活である。未来である。
 政治家なら結党以来の危機を言う前に、言うべきことはいくらでもあるはずだ。それが国民の共感に繋がる。危機は自民党、それも自らの当落の危機しか頭にないのであれば、何をか況やである。
 見世物ショー宜しく、多数が立候補しマスコミが盛り上がれば、自民党に注目が集まれば選挙も乗り切れる。どうしてこんな構図しか描けないのであろうか? つくづく情けない。
 民主党も百家争鳴。多士済々。こうした政党に政権を担う力あるかどうかは分からない。しかし今回だけは自民党の再生を促がすためにも今度の選挙では民主党に勝利して欲しい。国民の多くはそう考えている。自民党はジタバタと恥の上塗りなどせずに、潔く国民の審判に従うべきである。
 やや自画自賛ながら、「美人投票」とは言い得て妙である。投票する人々は”選ばれた人”が美人だとは少しも考えていない。美人と思い込んでいるのは選ばれたご当人だけという姿は、滑稽を通り越している。
 候補者諸氏はそうした現実から目を離さないで欲しい。今回のような狂想曲の馬鹿馬鹿しさに早く気がついて欲しい。それにしても与謝野馨さんの元気のなさが気になるところである。