経済政策を考える(上)−まずは財政政策

今度の自民党総裁選は、経済政策が最大の争点ということである。経済政策を大いに論じるのはよい。だが選挙目当ての安易なばら撒き政策だけはもうさすがに止めて欲しい。
近年の経済政策が問題なのは、政策がとられてもそれがちっとも”自律回復”の呼び水にならないことである。
経済政策に財政政策と金融政策の2つがあることはご案内のとおりである。まずは財政政策について触れることとしよう。
財政政策にも色々あるが、ポピュラーなのは公共事業であろう。公共事業について考える。
公共事業の第一の使命は、国民の直接的な”厚生(=便益)”を高めることである。水利が問題であればダムを作ったり運河を引いたり、移動に不便であれば道路を作ったり線路を開通させたりということである。
公共事業の第二の使命は、「経済を下支えし自律回復を促す」というような経済政策への貢献である。これは第一の使命とは厳然と区別されなければならない。第二の使命を達成するための公共事業は単なる手段にしかすぎないのである。
だから極端な場合、穴を掘って埋め返すだけでも第二の使命は達成される。もっともその前提として、これが「経済を下支えし自律回復を促がす」ものでなければならないことは言うまでもない。
よく公共事業費の無駄遣いが議論されるが、このことをきっちり理解した上での議論は残念ながら極めて少ない。
第二の使命について今少し敷衍しよう。公共事業の原資は税金である。これが公共事業に投下されると公共事業者の収入になる。公共事業者は息をつくことになるかもしれないが、マクロ経済的にはこれでは意味がない。投下された予算が呼び水となって波及効果が巻き起こり、新たな付加価値を産み出さなければその投入は”死に金”である。
公共事業に第二の使命を期待するのだとすれば、この事業の波及効果を確認することが必要となる。雑駁に言えばこれは事前に”財政乗数”を推定し、その期待乗数が実現出来たか否かで確認出来るであろう。
近年この”財政乗数”の小さくなっていることが、財政政策の最大の問題である。なぜ”財政乗数”が小さくなってしまったのか? この原因追究なしには、真摯な為政者はとても怖くて積極財政などとり得ないはずである。
達観すれば”財政乗数”が小さくなったのは、国民の”将来不安”が極端に高まっていることの影響が大きい。年金、医療、食料、エネルギーなどへの不安。こうした根強い不安がある限り前向きの経済活動などとりようがない。これらは正に政治が解決すべき問題である。
経済は独立してそれだけが単独で存在するわけではない。国民生活の全てが直接間接に経済に繋がっている。いずれにしても財政に”旧来型”の経済政策効果を期待するのであればリーダー失格である。
われわれ国民は、総理候補者がそのことをどこまで深く理解しているのか注視しなければならない。国民としてもまさに正念場である。