「国際会計基準」の世界標準化は、米国凋落の第一歩

一般紙のトップが「次期自民党総裁選び」に右へ倣いしている中で、4日付け日経新聞のトップ記事は「日本、国際会計基準導入へ」というものであった。
現在世界の主な会計基準は、欧州を中心に世界100カ国以上が採用している「国際基準」と、売上基準・指針だけで160もあるとされる世界一厳しい「米国基準」、それに「日本基準」の3つがある。
採用国の数から見ても、「国際基準」が凌駕しているのは明らかであろう。8月に米国が上場企業に「国際基準」の採用を認める方針を表明し、日本がそれに続いたということである。
「国際基準」と「米国基準」の主な相違点は、前者が”原則重視”であるのに対して、後者が”規則重視”であることだ。
すなわち”原則重視”では、原則の設定に注力され、その適用に当たっては企業の判断の余地が大きい。一方”規則重視”では詳細に適用すべき会計処理法が定められ、それだけ企業が独自に判断する余地が少ない。これが大きな相違点である。
私は会計の専門家ではないので、中身についてはそれほど関心はない。私が興味を抱くのは、米国一辺倒の国際化・標準化にこれでやっと風穴が開いたと考えるからである。
フランス保険業界の重鎮であるM・アルベールは、1992年に著した『資本主義対資本主義』の中で、「ライン型資本主義は制度的に優れるものの、結局はアングロ・アメリカ型資本主義の軍門に下ざるを得ない」との予想を示した。達観すればライン型資本主義というのは、欧州大陸を中心とした混合志向経済(資本主義と社会主義の中間)のことであり、アングロ・アメリカ型資本主義というのは、米英を中心とした市場志向経済のことである。因みに日本も典型的なライン型であるとされる。
今回の「国際基準」の勝利は、すなわち欧州連合が米国に一矢報いたということである。こうした捉え方はあまり一般的ではないようであるが、私は大変大きな出来事として考えたいし、声を大きくして指摘したい。
戦後パックス・アメリカーナパラダイムが連綿として続いて来た。米国の傘の中に入れば、安全と繁栄が保障されるという発想である。わが国は未だその発想を捨てきれないでいる。その一方で基本米国嫌いの欧州は、パックス・アメリカーナの幕引きを陰に陽に着々と準備をして来た。その一貫が「国際会計基準」の勝利ということであろう。
わが国の1990年代は”失われた10年”と言われる。これは経済の絶不調を指すだけではない。この10年思考停止に陥り、大きなパラダイム・チェンジを見逃してしまった事実も指摘されなければならない。
90年代に止まるならまだしも、わが国は小泉・竹中陣営の主導の下21世紀に入ってからもひたすら盲目的な米国追従を続けたわけである。そしてその傾向は未だ根本的には改められていない。
この罪はこの間の政官財のリーダーとそれを取り巻くブレーンが負うべきである。早晩小泉政権の罪状は暴かれなければならない。それにしてもブレーンぶってこの国を確実にミスリードした学者先生が、その罪を一向に恥じることなく、テレビに講演に稼ぎまくる様は浅ましさを通り越して開いた口が塞がらない。
もっともそれを何の衒いもなく平然と使うマスコミと大会社が、元凶であることも間違いない。そんな程度のセンスしか持ち得ないことがわが国の危機を招いていることに、マスコミ・大会社はなぜ気づかないのであろうか?