「世襲」こそ諸悪の根源と心得よ!

週刊ダイヤモンド』8月30日号では、「格差世襲」という特集が組まれた。同記事では、格差は世襲・固定化され、政治家、官僚、経営者なども世襲にまみれていることが指摘されている。
中でもショックなのは、『世論力テレビweb』からの引用データである。ここでは2005年当時(郵政解散前)における衆議院議員世襲実態が示されており、自民党では実に51.6%が、二世・三世等の世襲議員であるというのである。
政治には俗に「ジバン・カンバン・カバン」の三バンが必要であると言われる。世襲議員は労せずしてこれら三バンを手にしているわけである。有利であることこの上ない。
小泉政権では竹中平蔵さんの旗振りの下、新自由主義が標榜され、自由化の途へまっしぐらに突き進んだ。自由主義の功罪は取り取りである。百歩譲って、「市場が決めることが唯一正しい」という議論を受け入れたとしても、この場合問題であるのは「よおいドン」のスタートラインが横一線ではないことだ。
スタートラインの「はるか先からスタートする特権」を持っている人々がいる。その存在が問題なのである。この元凶が世襲である。
小泉さんも世襲族である。そうした意味で小泉さんが竹中さんと結託して自由主義を推進することなど、そもそも噴飯ものであったのだ。自分は「スタートラインのはるか前方」からスタートしていながら、「スタートラインの後方」からスタートせざるをえない多くの人々と、「正々堂々と一緒に競争しようよ」と言っても本来的に納得出来る話ではないはずである。
アメリカ自体がそういう国である。グローバル・スタンダードの名の下に、実はアメリカン・スタンダードを各国に押し付ける。自らに戦いの場が不利になれば、そこでまたパラダイム・チェンジを図る。甚だしい場合には自ら作ったルールも無視する。その典型が銀行の自己資本比率規制であるし、京都議定書への対応である。枚挙に暇がない。
そうしたことであるにも拘らず、国民は小泉・竹中マジックに引っかかってしまった。構造改革は一本道ではない。小泉・竹中流だけが構造改革ではないのである。
世襲に戻る。小泉さんが本当に構造改革したいのであれば、世襲構造の改革にまず手をつけるべきであった。
先例はある。世襲システムが招来する政治腐敗に悩んだ英国では、法律を制定し、「親と同一選挙区から子女の立候補を制限」する一方で、下院においては「同一政治家の同一選挙区からの連続立候補すら制限」されている。
安倍さんや福田さんが政界に命脈を繋ぎたいのであれば、今度の総選挙では国替えして信を問うべきである。麻生さんも同様である。その決意がないのであれば是非お辞め下さい。国民は甚だ迷惑しています。我慢も限界です。