「食料自給率低下など心配ない」は本当か?

食料自給率(カロリーベース)が40%を切り、主として食の安全保障の観点から議論が喧しい。これに対して経済学者は、「自給率の低下は問題ない」という論調でほぼ一致しているようである。
昨日(28日)の日経新聞「経済教室」にも、明治学院大の神門善久教授が「”食料自給率向上”は的はずれ」「相互依存強化こそ本筋」という趣旨で論文を発表されていた。
思いこせば1960年代の後半になるが、自給率が70%を切り始めた頃、現在と同様に安全保障の観点から「低すぎる需給率は危険」という見解を巡って議論が戦わされた。
神門教授が言われるように、世界の食料需給は基本的にバランスしており、わが国の自給率が低下しているのは、食嗜好の変化、農地利用の崩壊などによるものという指摘は正しいであろう。また別な論者は「WTOでは食の安全保障などということは一顧だにされない」とも言う。
だが主要先進12ヶ国の自給率の推移を1961年と2003年の単純二時点比較で見ると、オーストラリア、カナダ、フランス、ドイツ、英国、アメリカで上昇し、イタリア、オランダ、スペイン、スウェーデン、スイス、日本で低下している。
上昇組みは概ね経済大国かつ農業大国と言ってよい。上昇組みの中で注目すべきは英国である。同国の自給率は42%から70%に大幅に上昇している。一方その真対極にあるのが日本である。これは周知のように78%から40%へと大幅に低下してしまっている。
1960年代当時論者の多くがこうした英国の例を引き、「先進工業国の行く末はこうなるのが当たり前で、これと比べれば日本の水準はまだまだ高い」といった論調で議論していたことが思い出される。
経済学者は「自給率など気にすることない」と言い切る。だが英国が自給率を高めたのはなぜか、他の農業先進国も多額の補助金を投入してまで自国の農業を保護するのはなぜなのか。
ここには単純に純粋理論で捌ききれない問題が内包されている気がしてならない。経済の論者は経済学の不完全性(=似非性?)に常に配意すべきであるし、論理展開の美しさにのみ酔いしれるようなことがあってはならない。何よりも怖いのは思い込みによるミスリードである。