景気対策に思う。 また中小企業対策ですか?

自民党内の景気対策を巡る議論は、中川昭一・元政調会長が積極予算を主張するのに対して、中川秀直・元幹事長は大型予算編成に消極的と、両”中川”を両端の極に展開しつつある。
昭一氏は同じく積極策を主張する麻生太郎・幹事長の側面支援に回り、秀直氏は従来からの財政再建スタンスを変えていないということであろう。
秀直氏の発言は、バブル崩壊後総額100兆円にのぼる財政支出を行なったにも拘らず、残ったのは借金だけという反省に立っている。
政府の経済政策において「景気変動緩和」に大きな意義が認められて来たことは間違いない。景気が悪くなると巷で景気対策待望論が出始め、これに政府が呼応する形で景気対策がとられる。しかしながらその効果がきっちりと評価されることは稀である。
景気対策の定番となっている中小企業対策について考えてみよう。わが国の中小企業対策は平時において既に手厚く、非常時に新たに追加策と言っても実はタマ不足・知恵不足というのが実情である。
動脈硬化を起こしている血管に無理矢理栄養を送り込んでも、栄養が末端まで行き渡らないのは当たり前である。行過ぎると却って血管が破裂したり、梗塞状態に陥ってしまい逆効果となる。
中小企業の全てとは言わないが、その相当部分が政策的優遇や補助金行政にどっぷりと浸かり、経営体質の改善を怠って来た。それが動脈硬化の所以である。
たとえばバブル以降とりわけベンチャー育成策が推進され、多額の予算を投入し多様な制度・設備が用意された。だがその効果たるや如何であろうか?
既存の中小企業は”起業家”精神を失っているし、続く世代も同様の状況である。創造的破壊の担い手たる優秀な理工系学生が減少に向かっていることはその好例である。こんな地合いにいくらカネを注ぎ込んでも、砂に水が吸収されるようなもので、効果が期待出来ないのは明らかである。
景気対策にはタイミングが大事であることは当然理解している。だがまたぞろ旧態依然の感覚で中央突破を図るのであれば、さらに借金まみれになるのは間違いない。
原油価格の高騰を巡って漁業関連者が政府に保障を求め、政府もそれに応じるという一幕があった。原油問題は当然漁業者だけの問題ではない。いくら窮したからといって政府に保障を求めるのはお門違いであろう。どんな理由があるにせよ、事業は須らく自助努力の世界であるはずである。
食料・エネルギー問題は堺屋太一氏の警告を待つまでもなく、積年の課題であった。それに対する有効な対策をとって来なかったことが今日の体たらくに繋がっている。
わが国経済はもはやビボウ策などでは、にっちもさっちも行かなくなっているというのが現実の姿である。腐った屋台骨にいくら筋交いを咬ませても、いずれは崩壊するのが落ちである。
こうした事実を事実は事実として受け止めなければ先に進まない。少なくとも両中川ともにこの苦境を政争の具だけにはして欲しくない。そうでなければ国民はまた政治を「コップの中の嵐」と見限るばかりである。