『Tomorrow』と銚子市立総合病院の診療休止

現在TBSから放送中されているドラマに『Tomorrow』がある。舞台は財政破綻の危機に瀕するとある地方都市。財政赤字の元凶は市立病院。そうした背景の中、その地域医療の中核機関である市立病院を”脳外科中心”のセレブ病院に生まれ変わらせて、財政再建の起爆材とする計画が動き出す。
これを見ていて市立病院をセレブ病院に変えてしまうなど、随分荒唐無稽な発想もあるものだと半ばあきれてもいた。
だが今や不明を恥じなければならない。「事実は小説より奇なり」である。銚子市立総合病院が医師不足と赤字を理由にこの9月から診療休止と、事実上の廃業に追い込まれてしまったのである。
これに関して病院であっても、赤字で不採算なら市場からの撤退もやむを得ないとの見解を示す向きも多い。しかし本当にそれでよいのであろうか?
銚子市立総合病院は”公立”病院であり、地域医療を担う中核機関である。小泉・竹中路線以来未だ市場万能主義の雰囲気が払拭されていない。市場の失敗は多々あるし、自由市場に馴染まない市場をどう社会的に機能させるのかというのが人間の知恵である。知恵を尽くさないのは怠慢である。
医療問題に限らず財政再建を錦の御旗として、数々の福祉切捨てが実施された。その一方で食料・エネルギー問題には相変わらずの無策ぶりである。この国はどうなってしまうのであろうか。
こういう時こそ原点に立ち返らなければならない。昨日も書いたように、経済学は”貨殖興利”の学問などでは決してなく、飽くまでも”経世済民”の学問であることを強く再認識すべきである。そこから新たな一歩が確かに始まる。
日本国民は憲法第25条によって、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」有しているはずである。これが国民と政府の最低限の合意事項であろう。これが守られないのであればもはや現行政府は政府としての資格を有さない。
公立病院の診療休止は憲法違反と言ってよい。財政再建ばかりに頭が行って国民との基本的な約束を果たせないのであれば、日本国はそれで終わりである。
よく考えてみよう。わが国は日々の食べ物にも困る途上国ではない。国民がこつこつと蓄積した富もある。東京に限らず主要都市の目抜き通りには、世界のブランドショップが軒を並べる。これが豊富の中の貧困ということであるかもしれないが、冨があるのに弱者が切り捨てられるのは為政者の頭の悪い証拠である。
今こそ市場至上主義の幻想を捨てて、”ウォーム・ハートにクール・ヘッド”を実践すべき時である。