「美人投票」社会

このところさしもの原油高騰も一段落している。昨今の原油高ほど「市場万能主義」の欠陥を象徴しているものはない。
経済学においては投機の有効性が説かれる。しかしそれは飽くまでも、それがその商品の「将来の需給」を先取りするものである時に限られる。
昨今の投機が拙いのは、J・M・ケインズの言う「美人投票の理論」に偏りすぎているからと言ってよい。
美人コンテストの主催者が「”もっとも多くの人が投票した”候補者を当てた人に褒賞を与える」とした時、投票者は”自らが美人と考える”候補者ではなく、”他の多くの人が美人と考えそうな”候補者を選ぶこととなろう。これが「美人投票の理論」である。
原油価格もそうである。将来の実需予想に基づくのではなく、皆が原油市場に資金投入しそうだから自分も原油にカネをつぎ込む。これの繰り返しで原油は高騰する。
株式市場もそうである。株価は飽くまでもその会社の将来業績を反映してこそ成立するものである。しかしながら近代投資理論に基づく「システム運用」なるものでは、会社の業績が脇役となっている。皆がこの会社の株価を「上がると考えるのか下がると考えるのか」を当てることこそが、この手法の生命線である。
これがバブルということである。
私も投機の効用は否定しない。問題は市場が、”真の”需給予測に基づいて価格形成する場所でなくなってしまっていることである。
実はこの問題は「地球環境問題」と同じくらい深刻であり、これはグローバリゼーションという虚構の中で大いに世界を蝕んでいる。ここではこれ以上論じない。