安藤優子さん、あなたは全能の神なのですか?

 高畑裕太さんの事件に関する報道は実に酷かった。処分が決まる前から有罪扱いで、被疑者の人権はまったく無視されていた。ヤメ検弁護士の郷原信郎さんが最近の自らのブログで、推定無罪の原則もものかわ、人権に一切配慮しない、マスコミ各社の非道ぶりを批判しているが、同感である。
 本件の報道に関しては、各社ともに罪は免れないが、なかでも「グッディ!」の安藤優子さんの報道ぶりは噴飯物であった。彼女はジャーナリスト、キャスターという肩書きを持ちながら、その発言は街場のおばちゃん以下。自分の感性を物差しにしかしない一方的かつ悪意にみちたに感想の吐露にしかすぎず、品性も何もあったものではないのだ。一歩譲って他の報道・記事も同じ穴の貉ということで矛を収めたとしても、彼女の場合、不起訴となった後も執拗に高畑さんを罪に落そうとして画策しているとの印象が強い。警察が不起訴と判断したことは起訴に至る罪状が固まらなかったということである。つまりはそもそも事件はなかったということになろう。それを不服として異議申し立てるのであれば、新たな証拠の提出が必要であるはずだ。そうした手続きを踏まないで追及の手を緩めないのは、ジャーナリスト、キャスター失格である。
 こうした性犯罪に関しては、検察・警察がオトコ目線で処理してしまうことが問題視される。しかし逆もあるのではないだろうか。必要以上にオンナ目線に立った発言をすればするほど、新たな冤罪を生み出してしまう可能性が高まる。少なくともジャーナリスト、キャスター、の肩書きで仕事をしたいのであれば、最低限守らなければならないルールであろう。そのルールが守られないのであれば、これ以上傷口を広げないうちにお辞めなさいと言うしかほかに方法がなくなる。
 舛添さんを引きずり下ろした時も、急先鋒の一人は安藤さんであったと記憶する。舛添さんの事案は勿論、政治資金規正法に抵触するとかしないとかの法律問題があったことは確かである。だが彼のケースではもっぱら”せこさ”が問題視され、それが追及された。結局東京都知事としてはみっともなさすぎるよね。恥ずかしいから辞めて頂きましょう。これがまさしく街場のおばちゃん感覚というものであろう。ここで誤解のないよう付言しておくが、街場のおばちゃんというのは女性一般を指すものではない。浅薄な知識ベースしか持たないのに、訳知り顔で政治や社会を語る。そしてそういう人たちの”善意”が清き一票となり、正義の世論となる。結果、日本の進路が歪められる。そういう影響力を持つ人たちのことを言っている。無論街場のおじちゃんもありえる。飽くまで象徴である。
 マスコミは正義の味方を気取り、舛添さんのようなちょっとした綻びも決して許さずに断罪して葬り去る。これは何のためか。視聴率と販売部数に媚びすぎるためであろう。高畑裕太さんも好き嫌いは別にして、こうしたルートに放り込まれたしまった一人である。マスコミ各社、マスコミ人も叩けば埃がいっぱい出て来るはずだ。既に旧聞に属するが、ベッキーの不倫問題では、マスコミはまたぞろ正義の御旗を振りかざして、彼女を葬り去った。マスコミ人が不倫を糾弾するのは、天に唾する話である。かくいうわれらが安藤優子さんも過去に不倫・略奪婚が報道されたと記憶する。
 以上書いたことは臭いものに蓋ということでは決してない。正義を追及するのであれば、しっかりとした大局観と、それを主張するに十分な証拠の提供が必要ということを言いたかった。要はマスコミに携わる人たちは矜持を持って、その職責をまっとうしなければならないということであり、それが出来なければマスコミ人失格。即お辞めなさいということである。安藤さんに代表されるように、その資格があるかないかに関わりなく、神に代わって人を断罪する。その罪の大きさをよくよくわれわれは考えなければならないと思うのだ。