リーマン破綻の本質−必要な直接金融と間接金融の峻別−

9月18日付日経「経済教室」に慶應大の池尾和人教授が『裁定業務の限界を超えよ』という論文を発表されている。
ここでは、金融機関の活動にはアービトラージ(裁定)型金融と、バリューアップ(価値創造支援)型金融の二つのあることが指摘されている。
単純に言うと、アービトラージ型というのは、「安く買って、高く売る」タイプの金融であり、バリューアップ型というのは、「取引先企業の起業価値向上に資する」タイプの金融である。アービトラージ型というのは商業的と言ってよく、バリューアップ型というのは製造業的と言ってよい。
1990年代以降の米金融機関は、アービトラージ型に特化する形で高収益をあげてきた。金融機関の商売においてこうした部分が否定出来ないとしても、問題はバリューアップ型が不当に蔑ろにされて来たことである。
どんぴしゃ定義が一致するわけではないが、慣れた用語を使えば、アービトラージ型というのは直接金融、バリューアップ型というのは間接金融と言った方がよいかもしれない。
 直接金融は資金需要者が株・社債等で直接市場から資金調達する方式であり、間接金融は集められた預金を銀行等が間接的に需要者に資金提供する方式である。言うまでもなく、直接金融には主に証券会社が関わり、間接金融には主に銀行が関わる。直接金融では、最終的に資金調達者、投資家の両者ともに自己責任をおわなければならない。証券会社は仲人のようなもので、仲介の労をとるだけで最終責任は負わない。
間接金融では、銀行は貸したカネが返って来るまで監視を怠ることが出来ない。一方で預金者は原則として不良債権に責任をとることはない。
同じ金融という言葉を使いながら、両者の差は大変大きいのである。証券会社はアレンジした証券を投資家に嵌め込むことが出来さえすれば、その商売は成立する。ところが銀行としては少なくとも貸したカネが返済されるまで、貸出先企業と関係を維持しなければ、その商売は成立しない。
つまり証券会社の商売はワンタッチ・スルーが許されるが、銀行ではそうは行かないということなのだ。
証券会社(直接金融)を狩猟民族、銀行(間接金融)に例えると分かりやすいかもしれない。
狩猟民族はその土地で獲物さえ得られればよい。だからその土地がどんな土地であるかに興味はない。獲物がいなくなればその土地を捨てることも吝かでない。
農耕民族は土地を耕し、種を蒔き、生育過程での世話を怠らず、そして収穫に臨む。狩猟民族と異なって農耕民族は大いに土地に関心を抱かざるを得ない。土地がへたれば生命の危機にさらされる。
これまでの金融に関する議論では、金融機関の収益性に専ら関心が向かい、こうした本質的な差異が無視されて来た。
銀行はその本来的な性格上、入り口での審査も厳しく、その後のモニタリングにも注力しなければならない。それがオリジネーターとしてのデシプリンを維持して来た。相対的に証券会社にはその意識が薄い。
ところがそうした本質的議論を抜きにして、直接金融と間接金融の融合が図られてしまった。如何に近代的衣を纏おうが、大事なのは債権オリジネーターの審査能力である。
こうした原初的な原理原則を忘れ、策に溺れたのがサブプライム問題の本質である。リーマンの破綻は予め与件されていたことなのである。そのことをよく理解しなければならない。