安倍ヒットラー、小池ムッソリーニ

 小池さんのファシスト的体質がますます露わになって来た。安倍さんがヒットラーであれば、彼女はムッソリーニである。民進党からの合流希望者に対して憲法と安保政策に関するハードルを課すなど、まったくご自分を何様と思っているのであろうか。今回の選挙は自浄作用に乏しい自民党に代わって、”脱”安倍を進めるためのものでそれ以外の大義はない。まさか小池さんに本気で次期総理を任せたいと考える有権者は少ないはずだ。これが国民の良識である。彼女は何を勘違いしているのだろうか。
 小池さんは究極のポピュリストである。それ以上でもそれ以下でもない。ステーツマン性などまったく期待していない。都議選で都民ファーストが圧勝したのも、決してその政策が支持されたわけではない。現政権があまりにも酷すぎるので、反自民票が集まったにすぎないものだ。今回の選挙への期待は安倍政権打倒それしかない。小池さんには、極めて不遜な民進議員に対する踏み絵など端から期待していない。
 安保法制、特定機密保護法、共謀罪。これらへの疑義は第一義的には、如何にも審議がおざなりということであって、その必要性を含めて議論が足りないことが問題とされている。更なる慎重審議が必要ということにおいては、保守もリベラルもない。憲法改正も同じことである。安倍さんが、党内審議を無視してまで私案を唐突に世に問う姿勢が信用を無くした。これは憲法改正や安保法制に賛成・反対で片が付けられる問題ではない。
 にも拘らず小池さんは何をとち狂ったのか、憲法と安保を踏み絵にしたわけだ。寛容な保守ということであれば、リベラル臭の強い人たちとも十分議論して然るべきであろう。それを最初からシャットアウトするのでは、安倍ヒットラーと双璧をなす小池ムッソリーニと称されても反論の余地がないはずだ。
 小池さんがご自分をどう自画自賛しているのかは知らないが、所詮人寄せパンダにであって、その天才的ポピュリストとしての才能が期待されているということにすぎない。有体に言って総理の器ではない。今回小池さんに課されているミッションは、飽くまでも安倍さんの刺客役である。そのことをどうぞ忘れないで欲しい。そして首尾よく安倍政権を倒すことに成功すれば、国難を救ったジャンヌ・ダルクとして歴史的評価を受けること必定。価値観の違いはあろうが、場合によっては、その方が総理の座を射止めることよりはるかに重要であると言っていい。

自民党は村上誠一郎さんをなぜ総裁に選ばないのか?

 今回の総選挙は『自・公 vs 希望・維新 vs 共・社・無所属』の三極構造になりそうだということだ。野党は基本的な政策では区々であるが、『反安倍』で一致する。民進党の前原さんなどは「打倒安倍になりふり構わず臨む」としている。
 ところで、9月27日付け日刊ゲンダイによれば、有権者に問われていることとして、
   1.平気で噓をつく首相の人格
   2.自分勝手で攻撃的な幼児性
   3.閣議決定で壊憲を断行する横暴 
   4.トランプ米国隷従の軽挙
   5.北朝鮮をも政治利用する破廉恥
   6.国民と国会を軽視する独裁者然
   7.弱者へのゾッとする冷酷
   8.祖父への異常な憧憬
   9.お友達だけを優遇し逆らうものは許さない排他性と独善
などを挙げている。これには一々納得である。要するに。現在の政局では”安倍”的なものが問われているということであろう。
 なお、ここでおかしいのは自・公を選択すれば、自動的に”親”安倍となってしまうということである。一方、このままでは自民党の先生方の多くが国会に帰って来られないかも知らない瀬戸際に立っていると言ってもいいすぎではない。にも拘らず落選の危機を抱えるなかで、自民党の中から”反”安倍勢力が立ち上がって来ない。実に不思議なことである。
 国民は必ずしも諸手を挙げて小池希望の党を支持しているわけではない。そもそも民進は何だか胡散臭いから、次善の選択として希望を選んでいるにすぎない。要は自民を本質的に嫌っているわけではない。国家運営の安定性ということであれば、自民がいいに決まっている。これが国民の民意であると思う。安倍さんさえ交代すれば丸く収まる。こんなことは分かり切ったはずなのに、自民党の先生方はなぜ前に一歩踏み出さないのであろうか。
 党内には総理・総裁候補として、人気の高い石破さんや野田さん、あるいは岸田さんなど後継者は綺羅星のごとく存在する。しかも彼らの能力は安倍さんより多分高い。選挙前に”脱”安倍を打ち出せば、自民党は問題なく勝利する。国民の望む解決策はこれに尽きるだろう。個人的には、総理・総裁として村上誠一郎さんを担ぐことを可能とすれば万々歳と考えるのだが…。自民党はもとよりマスコミもこんな簡単な処方箋がなぜ書けないのであろうか?
 

江崎さん、別にいいじゃないか。核心はモリ・カケ・日報問題から眼をそらさないこと

 江崎鉄磨沖縄・北方担当大臣がマスコミの餌食になっている。「失言が怖いので答弁書を朗読する」「そもそも大臣就任は重荷だった」「要請を一旦断ったが、二階さんに説得されて翻意した」。これらが失言なんだという。要は、最初からこんなにやる気のない人物をなぜに大臣にしたのかということなのであろう。
 政治家として語るに落ちるということではあるかもしれない。だがこれが江崎さんの本音であるとするならば、私は人間らしくていいんじゃなと思ってしまう。少なくとも稲田さんや萩生田さん、あるいはモリ・カケ・日報問題で登場した財務省文科省防衛省内閣府などのお役人たちに辟易として来た国民の眼には、ある意味新鮮と見えないこともない。
 「地位協定見直し」発言も、野心満々の政治家であれば、口が裂けても出来ない発言である。リップサービスという面は否めないとしても、沖縄の置かれているなお悲惨な立場が彼の頭の片隅にあるからこそ、ああした発言が口をついたのではないのか。政治家の資質云々ということを言われてしまえば、それまでのことであるが、政治家も政治家である前に一個の人間である。そう考えれば、江崎さんのような政治家は貴重”種”と見てもいいであろう。
 以下本題である。マスコミ・野党が恒例の新内閣の失点探しを開始する中で、江崎さんが恰好の餌食になった。彼の話題性はそんなところである。翻って、モリ・カケ・日報問題によって半年以上も国政が停滞しているわけである。そろそろ観衆(=国民)も飽きて来た。そこへ江崎さんの追究を必要以上に始めてしまうと、国民もそうそう馬鹿ではない。スキャンダルに囚われすぎて、これ以上国政が遅滞するのは勘弁して欲しいと考え出しておかしくない。今はその分水嶺にある。
 モリ・カケ・日報とりわけモリ・カケ問題は、ロッキードリクルート事件などと比べてしまうと如何にもトリビアである。だが過去の疑獄事件はカネを貰ったか貰わないかで、ある意味構造自体極めてシンプルであった。しかしながら今回のモリ・カケ問題はそうではない。安倍さんに疑惑の眼が向いたとしても、国民の多くは彼がこの件に関してはした金をポケットにしたなどと考えてはいない。むしろ森友には100万円寄付したことの是非が問われているくらいだ。
 一連の問題の本質は、前川さんがいみじくも主張されたように、日常茶飯時、行政が歪められているのではないかというその一点である。加計問題では獣医学部に関する「岩盤規制に風穴を開ける」という使命ばかりが政府答弁では喧伝されて来たが、獣医学部新設がなぜ国家戦略特区マターなのかという説明が弱い。規制が全て”悪”で、規制緩和に版来するのは抵抗勢力として一派一絡げに抵抗勢力として断罪する。これは小泉さんの郵政民営化騒動の論法に端を発する。その勝ち戦の経験がDNAとして安倍さんに受け継がれている。そうした戦略展開には賛否両論あるわけだが、少なくとも規制緩和が全てバラ色の将来を保証するものでないない。
 これ以上ここでは詳しく論じないが、教育分野の規制は意味のあるものが多い。これには多くが意味があると言っていい。少なくても民間の一般分野の規制緩和と教育分野におけるそれは同列に扱ってならない。それを岩盤規制の打破などと金科玉条とするから胡散臭さが何時までも拭い去られない。新たな話題として江崎問題が取り沙汰されるが、この問題を新たな関心として目を奪われ、モリ・カケ・日報問題から関心を逸らしては決してならないのだ。

 

パンとサーカス

 昨日、内閣改造を受けた支持率の上昇について書いた。ドタバタ劇場を目の当たりにして、一旦現政権に嫌気をさした民衆がまたふらふらと舞い戻ったということである。モリ・カケ・日報、どの問題についても安倍さんの隠蔽姿勢は相変わらずである。私がいくら政権に対して嫌悪感を持続させたとしても、多くが許してしまっているのである。これは如何ともしがたい現実だ。
 古代ローマでの統治方針として、ご案内のように『パンとサーカス』であったことが喝破されている。パンは食糧、サーカス(見世物)は娯楽である。この二つを為政者が提供すれば、一般国民は為政者に素直に従うということだ。翻って現代を顧みると、若い世代とりわけ学生が安倍政権を支持するのは、就職率がアップしている(飯のタネの確保)ことを評価するからだという。一方、巷にはスマホが満ち溢れ、ありとあらゆる娯楽がここから発信され社会問題となるほど民衆はその虜となっている。これは現代版の『パンとサーカス』政策と言えよう。
 先行きの不安はあるものの、取り敢えず今は最低限飢えることはない。リアル社会が如何に厳しくても、取り敢えずスマホに逃避すれば精神の安定性は保たれる。こうした現実を前提とすれば世の中うまく行っているのだから、敢えて権力に逆らって波風を立てることはない。政権が国民のことを考えない、衆愚政治だといくら呟いてみても、現状の平穏ぶりには勝てない。先行きの不安など得体の知れないもので、それと戦うことなどは、明らかに徒労である。
 日頃学生と接していて感じるのは、その刹那性である。身の回り1mの範囲が無事であれば、それ以上は求めないという態度である。憲法改正によって、自らが戦場に駆り出される危険性を指摘しても、これは、彼らには遠い遥か彼方のまったく臨場感のない世界の話で、端から議論に乗って来ることはない。
 考えてみたら、これが実情である。こうした現実をわれわれは率直に受け入れなければならないのであろう。将来にどのような地獄が待ち構えていようとも、今日が平穏で、明日あたりも大丈夫であれば、それが衆愚政治と言われようが何であろうが、国民=民衆の選択ということであればそこに収まざるをえない。ただドタバタ劇が始まると政権批判に傾き、問題が一向に解決しないのに支持率を回復させる。ここに人間としての品性が問われていることは間違いない。安倍政権を支持するかしないかは、右とか左の問題などではない。一に品性の問題なのだ。

モリ・カケ・日報、何にも片付いていないのに

 内閣改造が行われ、その結果、内閣支持率が回復しているのだという。しかしモリ・カケ・日報、懸案事項は何にも片付いていない。それなのに支持率が回復。会見で8秒間頭を下げれば、それで全て水に流せるのか。こんな調子だから、国民は安倍さん一派に高を括られてしまうのだ。
 日報問題は兎も角、モリ・カケは政論の本質ではない。真実を詳らかにして次のステップに進んで欲しいのは山々である。個人的には、安倍政権下における最大の問題は財政再建と考えている。政局を気にしすぎるため当初の約束を反故にして、消費税引き上げが延期され、加えて消費税の使途はそもそも福祉目的のはずが経済政策の原資に流用されてしまった。国家予算の半分を借金に頼らなければ、予算が組めない状態はどう考えても異常である。早晩破綻しなければ不思議である。これは経済学云々を持ち出さなくても、庶民の常識である。
 安倍さん危険なのは、安保論争が典型的なのであるが、何のためにという哲学が一向に見えてこないことだ。いみじくも福田元総理が強烈に批判したように、安倍さんにこのままかじ取りを任せていては、日本国は破滅に向かってしまう。今ここで、内閣改造などに目くらましされてはいけないのだ。
 

I miss 藤山愛一郎さん

 内閣改造が進んでいるようだ。漏れ伝わってくる内定者はまったく新味がなく、一向に興味をそそられない。人気挽回と行くか行かないかは、一目瞭然である。安倍さんは頑張っているのかもしれないが、これはまったくの徒労であろう。
 翻ってこのところ私の頭からは藤山愛一郎さんが離れない。勿論藤山さんとは面識があるわけではない。多少の縁と言えば、30年以上も前のこと。家族で迷い込んだ横浜山手の一角で、瀟洒ではあるが、如何にも朽ち果てそうな藤山愛一郎の表札を掲げた洋館に出くわしたことでしかない。
 ところで、藤山愛一郎さんの名前を知っている方はどれくらいいらっしゃるであろうか? 藤山さんは財界出身の元外相で、総裁選に4度挑むも結局夢は果たされなかった。もともとは藤山財閥の御曹司で、大金持ち。その大金持ちが政界を引退する時には、塀と井戸しか残らなかったと言われている。またそうした様を指して、「絹のハンカチを雑巾に変えた」とも言われる。
 かように政治は金食い虫で、政治家を志すことは身上を潰すものであった。政治家を志す方々にとって「末は大臣を目指す」ことは当然のことかもしれない。だがそうした皆さんは、何のために大臣におなりになりたいのであろうか? 外野席からは、その動機は金と権力以外まったく見えて来ない。モリ、カケ、防衛省等の一連の騒動を見ていて、矢面に立つ政治家先生やお役人諸氏から公に殉じる気概の見えないことが、国民の苛立ちを一層駆り立てる。
 藤山さんのような大金持ちしか、政治家になれないのでは困る。しかし政治家が儲かる商売と考えることは、もっと困るのではないのか? 政治不信の根源は一にそこにある。藤山さんが恋しくなるのもむべなるかなと言えよう。 
 

情報隠蔽で制服組は得するか?

 稲田朋美防衛大臣がやっとお辞めになった。彼女がここまで頑張り続けたのは、なぜなのか? 一説に、政権を守るという強力なミッションを持っていたからだという説もあるが、真相は外野席からはよく分からない。ただはっきりしているのは、特別防衛監察の結果、制服(現場)組により重い罰が課されたということだ。これもなぜなのか?
 この問題で一貫して不思議なのは防衛省に”政治”対”背広”対”制服”の対立構造があるとして、そもそも制服組に「戦闘」の文言隠しをしなければならない鮮明な動機があるのだろうか?ということだ。制服組は文字通り命をかけてPKOに出向いているわけである。陸自トップの岡部俊哉幕僚長も、過酷な現場経験を経て現在の地位についていることは間違いない。命をかけて任務に邁進する集団の紐帯の強さは部外者にも容易に想像がつくであろう。
 日報にあった「戦闘」という文言を消し去ることは、綿々と築かれて来た紐帯=信頼関係を否定し、かつ無用に大事な部下の命を危険に晒すこととなる。にも拘わらず、そうした隠蔽工作を制服組が自ら自発的に行ったとすれば、実に面妖な話である。「戦闘地域へのPKO部隊の派遣が不可」ということであれば、南スーダンからの部隊撤収は速やかに実施されて当然である。これは臆病風に吹かれてという情緒的な事象などでは決してなく、飽くまでも法を遵守すれば撤退という単純な結論が示されるということである。したがってこれは制服組にとって何ら不名誉なことではない。そして繰り返しになるが、隊員が不必要な血を流さないで済む。
 要するに論理的にみて、私にはどうしても制服組が自発的に情報の隠蔽を図ることは考えられないのだ。情報隠蔽で一番得するのは誰か? 安倍総理が稲田さんをなかなか解任出来なかったのは、一連の経緯からみて彼女が一番都合のいい”女”であったということなのであろうか? 隠蔽体質の本丸はどこか? モリ・カケに端を発して次々と明らかにされるこの政権の闇は計り知れない。猛暑襲来の夏であるが、寒気を覚えるのは私だけであろうか?